周りは皆、スーツだった。
私は私服である。
ぱっと見、スーツと私服の割合は9対1といったところか。
何とも居心地が悪い。
試験場へ向かう若者たちの流れに乗ったはいいものの、どうにも自分だけ浮いている。
人生初の公務員試験。
その会場に到着する前から、アウェイ感が尋常ではなかった。
そもそも、なぜ私は警察官採用試験を受験することになったのか。
きっかけは、公務員予備校の講師からの助言だった。
当時、私は大学で開講されていた公務員試験対策講座を受講していた。
その講座に出張してきていた予備校の講師と、面談する機会があった。
そこで、こんなことを言われたのである。
「試験慣れする意味でも、いちばん早い公務員試験である警察官の試験は受けておけ。教養試験は簡単だから、今後の自信になる」
なるほど。
たしかに、いきなり第一志望の試験を受けるよりも、事前に本番の雰囲気を経験しておいた方がよいだろう。
当時、警視庁警察官採用試験の第1回は5月に実施されていた。
この試験を受けなければ、次は6月の特別区や東京都の採用試験になる。
どちらも、多くの公務員受験生が志望する試験である。
その前に警察官採用試験を受けて、試験の雰囲気に慣れておく。
悪くない。
しかも、教養試験は簡単だという。
講師がそう言うのだから、それなりに理由があるのだろう。
試験慣れができて、自信までつく。
一石二鳥ではないか。
こうして私は、警視庁警察官採用試験を受験することになった。
もちろん、せっかく受けるのだから、あわよくば合格していてほしいという気持ちもあった。
ただ、私にとっての主な目的は、まず試験を経験することだった。
そして5月。
私は第1次試験の会場である、某大学へ向かった。
試験場の最寄り駅に着くと、すでに大勢の若者たちが歩いていた。
どうやら、同じ警察官採用試験を受ける人たちらしい。
私は、その流れに乗った。
ところが、しばらくして違和感を覚えた。
周りは皆、同じような服装をしている。
スーツである。
え?
今日は第1次試験ではないか。
面接試験はない。
それなのに、なぜ皆スーツなのだろう。
私は、当然のように私服で来ていた。
会場は大学だし、筆記試験なのだから、私服で十分だと思っていたのである。
しかし、どうやら周囲の認識は違ったらしい。
見渡す限り、スーツ、スーツ、スーツ。
私服の受験者もいるにはいるが、少ない。
9対1。
少なくとも、私にはそのくらいの割合に見えた。
私は、すっかり場違いな人間になっていた。
まあいい。
服装など、筆記試験の点数には関係ないはずだ。
スーツを着ているからといって、問題が解けるようになるわけでもない。
そう自分に言い聞かせながら、会場へ向かった。
すると、今度は受付に驚かされた。
長蛇の列である。
大学の敷地外まで伸びていた。
何だこれは。
遊園地のアトラクションでもあるまいし。
いったい何人受験するのだろう。
仕方がないので、私も列に並ぶことにした。
そして、周囲の受験者を観察し始めた。
ここで、さらに違和感を覚えた。
皆、デカイ。
もちろん、全員がそうだったわけではない。
しかし、私の周囲には、体格のよい受験者が目立っていた。
それだけではない。
耳が俵だ。
何だ、その耳は。
どうやら、武道の経験者が多いらしい。
少なくとも、私はそう感じた。
なるほど。
さすが警察官採用試験である。
周囲を見れば、いかにも警察官を目指していそうな受験者がいる。
一方、私はどうだ。
予備校の講師から、試験慣れになるから受けておけと言われて来た人間である。
あわよくば合格してほしい、くらいのことまで考えている。
もちろん、周囲の受験者が何を考えているかなどわからない。
しかし、体格のよいスーツ姿の若者たちに囲まれていると、自分とは試験に臨む姿勢からして違うのではないか、という気がしてくる。
私服で来たことなど、もう些細な問題だった。
ここにいる私は、何とも頼りない。
いや、だからといって、帰るわけにもいかない。
試験慣れするために来たのだ。
まずは、この状況に慣れなければならない。
長い受付の列をようやく抜け、試験教室に入った。
座席は受験番号順ではなく、受付番号順だった。
受付に時間がかかったため、自分の席に着いたころには集合時刻が迫っていた。
そんな中、何人かの受験者がトイレへ向かおうとした。
ところが、教室の出入り口にいた試験官が、それを制止していた。
屈強な試験官である。
今はトイレに行けないので、席に着くようにと促している。
受験者たちは、引き返すことになった。
ほう。
警察官は時間に厳しい。
私は、妙に納得してしまった。
もちろん、集合時刻が近かったからなのか、試験運営上の別の事情があったのかはわからない。
しかし、私には、その試験官の対応も、いかにも警察官採用試験らしく見えたのである。
ちなみに、試験場は男女別になっていた。
私にとっては、何もかもが初めての公務員試験だった。
周囲はスーツ姿ばかり。
受付は、大学の敷地外まで伸びる長蛇の列。
受験者は体格のよい人が多く、耳まで俵になっている。
そして、集合時刻が迫れば、屈強な試験官がトイレへ向かう受験者を制止する。
なかなか独特な世界ではないか。
私は、そんなことを考えながら試験に臨んだ。
教養試験と身体測定を終え、会場を後にした。
こうして、人生初の公務員試験が終了した。
ひとまず、本番の試験というものを経験することはできた。
これで次の特別区や東京都の試験にも、少しは落ち着いて臨めるだろうか。
あとは、結果を待つだけである。
後日、試験結果が郵送されてきた。
不合格。
私は笑ってしまった。
予備校の講師は、教養試験が簡単だから、今後の自信になると言っていた。
ところが、その試験に落ちたのである。
試験慣れはできた。
少なくとも、公務員試験の会場がどういう場所なのかは、身をもって知ることができた。
スーツ姿の受験者に囲まれ、長蛇の列に並び、俵のような耳を眺め、トイレに行けずに引き返す受験者まで見た。
実に勉強になった。
ただし、自信がついたかどうかは別の話である。
今後の自信になるはずだった、人生初の公務員試験。
結果は不合格。
幸先の悪いスタートとなった。

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