特別区職員採用試験

無職になっても、自治体の採用ページを閲覧するのがやめられない。

心のどこかに未練があるからだろう。気づけば、10代は高校受験と大学受験に費やし、20代は公務員試験に費やしていた。
人生で最もエネルギーがあり挑戦と失敗の許される貴重な時間を、私はドブに捨てたのだ。

同世代に比べて、圧倒的に社会的経験値が低い。同世代が経験しているキラキラした青春を、私は経験していていない。
そんなもの俺にもなかった、と言われそうではあるが、その可能性すら捨てていた私にとって、反実仮想の仮想はこれでもかと膨れ上がっている。

すべて我慢してきたのだ。今、勉強しておけば後々楽になる。こいつらが将来苦労するときに、私は苦労せずに済むはずだ。

それだけがモチベーションだった。

話を戻すが、採用ページを見ると市役所では年齢要件に引っかかることが多くなった。普通に考えれば、経験者採用試験を受けるような年齢なので当然ではある。

当時、特別区は6月に試験があった。地方出身者も多そうな特別区であれば自分も浮かないと思い、密に第一志望としていた。

試験会場である某大学へ向かう。筆記試験なので私服で行ったが、警察官試験とは違いこちらはほとんどが私服であった。もちろんスーツもそれなりにいた。

受付を済ませ、教室へと向かうが時間になるまで教室に入ることはできない。扉の前で20分ほどは待ったであろうか。各自、通路で参考書を広げ最終確認をしていた。

試験科目は教養、専門、小論文である。お昼を挟むのでそれなりに体力を使う。

試験を終え、会場を後にする。
この筆記試験を突破すれば区役所職員へかなり近づくことになる。第1次試験に比べ、第2次試験の倍率が低いからだ。面接に苦手意識のあった私は合格を期待した。

さらに、特別区は早ければ夏休みには内定が出るので、卒業まで安心して過ごせると思っていた。
4年にもなると周囲から就活の状況を訊かれるし、卒業論文の執筆もある。ここで合格するのが精神衛生上よろしいのだ。

後日、結果が発表された。

不合格。

当たり前か。筆記の手ごたえがまるでなかったからな。しかしマークシートだから、どこか期待していたのだろう。成績開示をした覚えがあるが、たぶん下から数えたほうが早かったと思う。

今まで懸命に専門科目を勉強してきたのがバカバカしくなった。その努力が、一瞬にして泡と消えた。

第一志望に第1次試験で不合格。負け癖がついていた私にはダメージが少なかった。

特別区
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管理人

公務員試験で採用漏れになり何もかも失った公務員試験バカ。
市役所に最終合格したので仕事を辞めたものの、結局4月採用の連絡は来ませんでした。
受験歴は学生時代に17自治体、社会人時代に10自治体。
公務員試験の真相を詳らかするため、ブログで発信しています。

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