このブログのタイトルにもなっている試験について、まだきちんと書いていなかった。
自分がなぜこのブログを始めるに至ったのか、その起点でもあるので、ここに記録しておく。
社会人として働きながら、私はX市に一縷の望みを託していた。
夏までに受けた公務員試験は、すべて不合格だった。
第一志望でも第二志望でも第三志望でもない。それでも――どこでもいいから、公務員になりたかった。
公務員試験情報サイトでX市の採用案内を見つけたのは、そんな折だった。
私は藁にもすがる思いでESの作成に取り掛かった。毎度のことながら、公務員試験のESは、面接試験に進まなければ水泡に帰す。それでも書くしかない。最終合格を願いながら、推敲を重ねて提出するしかない。
ESの内容は、市役所らしい定番の設問ばかりだったが、働きながら作成するのはやはり骨が折れた。結局、提出は申込受付の最終日。市役所まで持参するしかなかった。
正直、応募書類を「窓口持参のみ」で受け付ける自治体の姿勢には疑問を感じた。
週末に受付時間を設けるわけでもなく、平日の開庁時間のみ。
この時点で、X市が地元あるいは近隣自治体出身者を求めているのだと気づくべきだったのかもしれない。
それでも私は仕事で半休をもらい、会社からそのまま市役所へ向かった。ぎりぎりで受付に間に合った。
受付といっても、書類を渡し、一次試験の受験票に印を押してもらうだけだ。そこに効率や生産性といった言葉は似合わない。
書類選考はあったが、これは無事に通過していた。
あとは一次試験に備えるだけ――と言っても、内容はSPIと作文。特段の対策はしなかった。
ただ、どの自治体の試験にも言えることだが、応募書類の提出から一次試験まで一か月待たされるのは、どうにかならないだろうか。
受験者の負担が大きいわりに、メリットはほとんどない。
自治体としては「本当に入庁する意思のある人だけ残したい」のかもしれない。
だが、その姿勢だけでは、公務員の質を担保することはできないと私は思う。
人物重視の選考を増やせと言いたいのではない。
評価者にこそ、研修や育成が必要だという話だ。場合によっては、民間の知見を取り入れることも必要だろう。
受験者を適切に評価できる人が、合否を決めるべきだ。
もちろん、国家公務員のように職場の構造そのものに問題がある場合、採用試験だけでは解決できない。
それでも、地方公務員から少しずつでも採用の意識を変えていかなければ――日本の未来に希望を託すのは難しいのではないかと感じている。

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