「資料のとおりでございます」
その一言に、知事が割って入った。
「いや、ちょっとちゃんと丁寧に答えて、そんなぶっきらぼうじゃなくて」
私は、この言葉に感動してしまった。
記者会見の真っ最中である。
知事が、職員の受け答えを公然とたしなめたのだ。
なかなかできることではないと思う。
そして、私はその会見を見ながら、また公務員採用試験のことを考えていた。
令和2年3月7日。
午後7時20分から、群馬県の臨時記者会見が行われた。
県内で初めて、新型コロナウイルスへの感染が確認されたのである。
会見に臨んだのは、山本一太知事。
感染が確認されたのは太田市に住む女性で、保育所に勤務していた。
2月下旬から体調不良が続き、複数の医療機関を受診した後、感染が判明したという。
当然、記者からは質問が相次いだ。
現在の容体はどうなのか。
どのように感染したのか。
濃厚接触者はいるのか。
勤務先では、どのような対応を取るのか。
知事が答えることもあれば、担当職員が代わりに答えることもあった。
もっとも、当時はまだ十分な情報が集まっていなかった。
患者のプライバシーもある。
記者から質問されたからといって、何でも答えられるわけではない。
そこは理解できる。
しかし、私はその会見で、どうしても気になる職員を見つけてしまった。
映像の外から聞こえてくる、女性の声である。
その受け答えが、私には随分と横柄に聞こえたのだ。
詳しい情報は、まだない。
詳しい情報は、入っていない。
そうした回答が繰り返される。
もちろん、実際に情報がなければ、そう答えるしかない。
問題は、私にはその言い方がひどく投げやりに聞こえたことだった。
情報がないのだから、答えようがない。
そんな態度に感じられたのである。
私は、この職員は普段からこういう話し方をしているのではないか、とまで考えた。
もちろん、会見での数回の受け答えだけで、その人間の普段の態度などわかるはずがない。
しかし、一度そう感じてしまうと、なかなか印象は変わらない。
そして、問題の場面が訪れた。
記者が、感染者の勤務日について確認していた。
2月27日、28日。
そして3月2日と3日。
それ以外の日は出勤していなかったのか。
担当職員は、こう答えた。
「資料のとおりでございます」
記者は、さらに確認した。
「土日の出勤はなかった」
すると、知事が割って入った。
「いや、ちょっとちゃんと丁寧に答えて、そんなぶっきらぼうじゃなくて」
その後、職員は、土日は保育園自体が休みで、感染者も出勤していなかったと説明した。
私は、このやり取りを見て、思わず感心してしまった。
そうだ。
そういうことだ。
記者が確認したいのは、土曜日と日曜日に出勤していたのかどうかである。
それなら、出勤していないと答えればよいではないか。
資料に書いてあるからといって、質問した相手に資料を読み直させる必要があるのだろうか。
ましてや、これは新型コロナウイルスの感染確認についての記者会見である。
県民に正確な情報を伝えるための場だ。
記者は、ただ職員の知識を試しているわけではない。
知りたいことを確認し、それを報道するために質問している。
その質問に対して、「資料のとおりでございます」。
私は、この一言がどうにも気に入らなかった。
もちろん、内容として間違っているとは限らない。
実際に資料には書かれていたのだろう。
しかし、正しいことを言えば、それだけで十分なのだろうか。
答えが正しいことと、相手の問いに答えていることは、必ずしも同じではない。
私は、そう考えた。
そして、その場で知事が職員をたしなめた。
これにも驚いた。
記者会見中である。
職員の受け答えについて、知事自身が注意する。
その姿は、私には好ましく映った。
もし何も言わなければ、少なくとも私の中では、群馬県に対する印象が悪くなっていただろう。
しかし、知事は見過ごさなかった。
もっと丁寧に答えるよう促した。
私は、その一言を評価した。
さて、ここからが私の悪い癖である。
職員の受け答えを聞いているうちに、私は公務員採用試験のことを思い出していた。
これまで何度、面接を受けてきただろう。
市役所。
県庁。
さまざまな自治体の採用試験を受験した。
そして、何度も不合格になった。
私は、そのたびに面接官の評価能力へ疑問を抱いてきた。
自分では、きちんと受け答えできたと思っている。
しかし、結果は不合格。
なぜだ。
一体、何を評価しているのだ。
そんなことを、ずっと考えてきた。
そこへ、この記者会見である。
担当職員の横柄に聞こえる受け答え。
私は、ふと思った。
この職員も、採用試験で面接官を務めるような立場なのではないか。
だとしたら、私はこれまで、こういう態度の人間に評価されてきたのだろうか。
そう考えると、猛烈に腹が立ってきた。
もちろん、この職員が採用面接を担当したことがあるかどうかなど、私は知らない。
過去に私を面接した職員たちと、この会見の職員が同じような人間だという根拠もない。
しかし、そんなことは、その瞬間の私にはどうでもよくなっていた。
何度も不合格になった。
自分では納得できない評価を受けてきた。
その記憶が、たった一人の職員の口調によって、また引っ張り出されてしまったのである。
私が腹を立てていたのは、この職員だけではなかったのだろう。
テレビの向こう側に、過去の面接官たちまで見ていたのだ。
そして、こんなことまで考えた。
公務員試験に不合格になったのは、面接官に見る目がなかったからではないか。
外の世界を知らず、自分の気に入った人間しか評価できない。
そういう人たちに、私は落とされてきたのではないか。
無論、それが事実だと証明できるわけではない。
しかし、だからといって、私の怒りが収まるわけでもない。
そもそも、私は記者会見を見ていたはずである。
それが、いつの間にか、自分の公務員試験の不合格について考えている。
実に往生際が悪い。
会見の後半には、担当職員の姿も映った。
マスクを着用していたのだが、マイクで話すときには外しているように見えた。
何のために着けているのだろう。
私は、そんな所作まで気に入らなくなっていた。
一度嫌悪感を抱くと、何もかもが目につく。
しかし、ここで少し考えておかなければならないことがある。
当時の自治体職員は、新型コロナウイルスへの対応に追われていた。
保健所や医療機関との調整。
感染者の行動歴の確認。
濃厚接触者の調査。
学校や保育所の休業に関する対応。
住民からの問い合わせ。
通常業務だってなくなるわけではない。
突然の感染症対応によって、職員には相当な負担がかかっていたはずだ。
私は、そのことを無視したくはない。
今回の職員も、会見までに多くの対応をしていたのかもしれない。
疲れていたのかもしれない。
まだ集まっていない情報を繰り返し質問され、苛立ちを感じていた可能性もある。
もちろん、実際にどうだったのかはわからない。
しかし、公務員は決して安泰な仕事ではない。
感染症に限らず、災害や事故などの緊急事態が起これば、自治体は対応を迫られる。
自分の都合だけで仕事を止めるわけにはいかないのである。
だからこそ、私は、公務員の仕事の厳しさを理解したいとも思う。
しかし、それとこれとは別の話だ。
未知の情報について「調査中です」と答えるのは仕方がない。
わからないことを、わかったふりで説明する方が、よほど問題である。
だが、すでに資料に書かれている事実について、記者が確認を求めたのなら、その問いに沿って答えればよい。
知事が注意したのは、その受け答えだった。
「もっとちゃんと丁寧に答えて」
私は、あの一言が忘れられない。
そして、あの一言を聞いた途端、過去の公務員試験まで思い出してしまった自分のことも。
知事は職員の受け答えをたしなめた。
私はテレビの前で、会ったこともない職員を勝手に面接官に仕立て上げ、過去の不合格の責任まで問おうとしていた。
ずいぶん飛躍した話である。
しかし、それほどまでに、私は公務員採用試験のことを引きずっていたのだ。
群馬県の記者会見を見ていたはずなのに。
結局、私が思い出したのは、また自分の不合格だった。


コメント
更新してほしいです…
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